酒、たばこ、薬、買い物、ゲーム、ギャンブル...快楽は、我々が不安や悩みから束の間逃れ、明日をよりよく生きるた...
Ha scritto il 30/04/09
信田さよ子の文章は読んだことがあるけど、彼女の本を購入したのははじめてかもしれない。まだ最初の部分を読んだだけだけど、ちゃんと勉強している人だなと思った。

胡思二手書店士林店で購入しました。天母店よりも、こちらの日本語書籍の方がまともな本の比率が高いような気がするのはなぜでしょう?

いくら要らなくなった本だから古本屋に売り飛ばすとはいえ、あまりにも「お里が知れる」ような本ばかり並んでいると、同じ日本語書籍読者として恥ずかしくなるので、どこの古本屋にどんな日本語書籍が出回っ

胡思二手書店士林店で購入しました。天母店よりも、こちらの日本語書籍の方がまともな本の比率が高いような気がするのはなぜでしょう?

いくら要らなくなった本だから古本屋に売り飛ばすとはいえ、あまりにも「お里が知れる」ような本ばかり並んでいると、同じ日本語書籍読者として恥ずかしくなるので、どこの古本屋にどんな日本語書籍が出回っているのか、実は結構気にしているのです。

頭のいい人だな、と思った。私もこんなふうに頭の中がすっきりしていて、分かりやすい文章が書けるとよいのだけれど、努力が足りないのか、頭が悪いのか、どうにもならない。

以下は抜粋:

ここで嗜癖は自己治療であることを再確認してみよう。......他者のかかわりを遮断したところで行われる内閉的行為である。
この他者の遮断は、アルコール依存症者からは一見感じられないことがある。彼らは盛んに語り、話しかけ、頷いたりしている。しかしよく見てみると彼らの関心は自分にしか向いていないことが分かる。彼らは周囲の他者を使っているだけなのだ。酔った感情の捌け口にだったり、自分の同調者としてであって、決してコミュニケーションをとっているわけではない。このことは周囲の人を、彼と交流したいと思っている人をいたく傷つけるものである。そこに関係遮断による拒絶を感じるからであり、自分が手段として使われているという感じを受けるからである。(57)

このように家族の中の暴力への対応、どうやって介入していくかの方法はアルコール依存症へのそれをモデルにすることで明確になる。困っている家族への対応が先決なのだ。(60)

自らの問題を意識化しそれについて解決を求め、他者の援助を求めるということができる人だけを対象としてきたのではないだろうか。そのような人は実は問題を解決出来る能力をすでに有しているのである。もっともっと大変な人たちはそもそも専門家の前に現れないのだ。本人が症状(周囲の人から見ればだが、本人は決してそんな風には思っていない)を呈することで困っている人たち(多くは家族)こそがまず援助されなければならないのである。(61)

医療という場は第三章でも述べるように医師を中心とした権力構造によってなりたっている。その中にいると、どのように良心的で権力について自覚的であっても、結局は権威的な態度が知らず知らず身についているものだ。(63)

アディクションの世界は、専門家が威張れない世界である。「私は偉い先生だ」と威張っていたら対応できない。本人から学ぶことをしないとやっていけないのだ。分裂病でも不登校でも精神医療および心理臨床の専門家は一応「本人から学ぶ」と言う。しかし自分が上だと思い、その権威にあまり疑いをはさまず、安全地帯にいながら相手から学ぶと言うのは、実は自分が良き専門家であるということを証明するためだけに言っているのではないか。(63)

システム家族論とは家族は一つのシステムであるとする立場である。この立場からは、家族内のさまざまな問題について原因結果はない、あるのは悪循環なのだということになる。またアルコール問題が長期にわたって続いているということは、家族内にアルコール問題を維持するシステムが働くと考えられる。......アルコール依存症者は飲む必要があって飲み、生きたければやめる。それは一切の価値を超えるものである。さらにその妻は一方的被害者ではなく、妻自身が飲んでいる夫を支配している......このような生々しいダイナミズムはこれまでの世界から一気にヴェールをはがし、異なる光景を浮上させた。(100)

対象とすべきは、本人より先に困っている家族なのである。その家族に正面から対峙していくことが重要なのだ。眼の前にやってこないような本人よりまず家族を、というアプローチは「症状を呈している人」より「困って、苦しんでいる人」こそが対象なのであるという基本を知らず知らずして身につけていくことになった。症状という医療モデルに立脚した客観的基準ではなく、苦しみ困るという主観的な「問題」を対称にするということである。(116)

第二の苦しみは、母からの共依存的支配によるものである。これは成長過程ではそれほど意識されず、父によって苦しめられながらも自分を育ててくれた不幸な母、母を支えるのは自分しかいないと母の期待を先取りしてひたすらいい子として成長する。ところが成人して表面化するのが、母が自分の人生に侵入し寄生していることによる苦しみである。離婚の恐怖を子どもに感じさせ続けたのに結局は離婚もせず、自らの不幸を子どもによって救われようとした母からの「愛情と言う名の支配」なのだ。(133) ...Continua


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