君はエッジ(アダム・コープランドの愛称)のことをわかっているつもりだろうか? 彼が今日のワールド・レスリング・エンターテインメント(WWE)で鎬を削るスーパースターのなかでも、とりわけダイナミックで人気のあるレスラーであることは周知の事実だし、それを裏付けるだけの輝かしい業績もあげている――タッグ王座10回、WCW US王座、2001年キング・オブ・ザ・リング、WWEインターコンチネンタル王座5回。だがそれはともかく、エッジはいったいどんな人物なのだろう? この問いにこたえるため、アダム・コープランドは読者をリングでなく彼の心の中へ誘い、エッジに関するさまざまな知識を授けてくれる。.
『Adam Copeland On Edge』は単なる自伝ではない。著者の言葉を借りれば、これは彼が読者のためにずっと前から描きたいと思っていた「心の絵」であり、レスラー生命さえ危ぶまれた首の手術後の自宅療養中に彼が実現しようと決めた「数ある夢」のうちのひとつである。そしてまた、彼の人生のみならず、彼の心のいちばん奥にあるさまざまな思いを探る旅でもあるのだ。
カナダ・オンタリオ州オレンジヴィルの小さな町の「ほかの人たちより遥かに貧しい」家庭で育ったにもかかわらず、コープランドは自身の人格形成期を懐かしそうに振り返る。家賃を払うためにいくつもの仕事を掛け持ちしながら、スパイダーマンの漫画本やKISSのアルバムに対する息子の情熱を育んでくれた優しい母。9歳のとき、彼の人生の空隙を作り出した家族の悲劇。その空隙をほどなく埋めてくれた、シンボルカラーの赤と黄色のコスチュームを身につけた伝説的レスラー、ハルク・ホーガン。ホーガンの強さと人柄が「俺はどんなことでも実現できるんだ、という気持ちにさせてくれた」と、コープランドは言う。
彼にとって「どんなこと」とはレスラーになることで、それはプリンセス・エリザベス・パブリックスクールの仲間「ゲッタロング・ギャング」全員の野心でもあった(そのうちのひとりは、のちにコープランドと独立系タッグチーム「スーサイド・ブロンズ」を結成し、その後エッジの「弟分」クリスチャンとしてWWE入りしたジェイソン・リソである)。忠実なエッジヘッズ(エッジの熱狂的ファン)も、コープランドのキャリアに弾みをつけたのが彼の文才だったという事実に驚くだろう。新聞のエッセイコンテストに優勝したおかげで、彼は独立系のベテランレスラー、スウィート・ダディ・シキとロン・ハッチンソンから無料でトレーニングを受けられることになったのだ。しかしそれ以上に驚くのは、カナダやアメリカ中西部で「アダム・インパクト」「セクストン・ハードキャッスル」のリング名で闘ったころの、鮮明だがしばしば常軌を逸した思い出の数々――テリー・リチャーズ(ライノ)やショーン・モーリー(ヴァル・ヴィーナス)、クリス・ジェリコといった未来のWWEスーパースターとの親交や、カナダ北部の凍結した湖を横断し、氷点下の気温に耐え、クラフト社のインスタントディナーやツナ缶で空腹をしのいだ「ウィンター・デス・ツアー」――だろう。
努力と根気、それに前WWEヘビー級チャンピオン、ブレット・"ヒットマン"・ハートの推薦もあって、コープランドはついにWWEの入口に立った。だが1998年6月の「不運な」RAWデビュー戦(彼はこの試合で図らずも相手をノックアウトしてしまった)が裏付けるように、その時点まで「悩める魂」から「聾唖のレスラー」まであらゆるギミックを与えられてきた自分がどうすれば「エッジ」に変身できるのか、「俺には皆目見当がつかなかった」。そう言いながら、コープランドは自分が真の「エッジ」に成長するまでの足跡を振り返っている――クリスチャンやギャングレルと結成した吸血鬼軍団ブルードの時代から、「恐ろしさ」「不快さ」「凶悪さ」に満ちたボキャブラリーを広め「ハーディー・ボーイズやダッドリー・ボーイズ、それに無数のテーブルや梯子や椅子の助けを借りつつ」WWEタッグ部門を活性化させた強豪コンビE&C(エッジ&クリスチャン)時代の到来まで。
細部まで生々しく率直に語るなかで、コープランドは目標を達成することだけでなく、目標を積み上げていくことについての持論を披露している。すばらしい試合の数々を思い返しながら、インターコンチネンタルのタイトルを初めて手にしたときの驚きや、クリスチャンと別れソロでのキャリアを確立するまでの不安、悩んだ末のSmackDown移籍の決断、ブロンドの長髪を賭けたカート・アングルとのヘアマッチの苦悩、レスラーを志すきっかけとなった憧れの人物ホーガンとともに短期間とはいえタッグ王座に君臨できた感動、結婚の破綻と首の椎間板2枚損傷の二重苦、そして、2004年3月RAWに復帰しWWEヘビー級王座を目指すという決意について語っている。